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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第118号       ’01−12−07★

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     <自殺>システム     

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●TVやCATVの

 

映画番組で、へェ、こんなのがあったとは知らなかったぜ、、 という

作品に出会うことしばしばですから、観たことのある映画ならいつかは

やってくれる、、  はずですが、

 

これまで私の知る限り、1度も放映されたことが無い(のも沢山あるに

違いないが、待ち構えているだけに余計そう感じられる)のがチャール

トン・ヘストン主演、1973年作品<ソイレント・グリーン>。

 

ネットに幾つもの頁が見付かり、そのどれでも評価は低くないのだから

放映されないのが不思議。 あまりにも予言的で、ショックやパニック

を引き起こしかねないから、、 かな?  何しろ当時、

 

これは Science <Fiction> ではなく<Fact> だ、と評されたくらいの

説得力。 2022年、ニューヨークは暗い雲に覆われ、埃っぽい風が

吹きすさび、廃墟のような街には無数の群衆がうごめいている、、

 

そこへ時々、巨大なショベル・カーが回って来て、泣き叫ぶのも構わず

人々をすくい上げ、ホッパーに放り込んで<整理>してしまう、、

 

WTCビル崩壊の或るシーンは、いくらかこの映画を連想させました。

 

 

しかし、私がまた観たいと望んでいる理由は別。 刑事である主人公の

資料係を務めていた通称< Book >なる老人(懐かしきエドワード G.

ロビンソン!)が、生き続けるのに嫌気がさし、安楽死施設<ホーム>

へ行く。 丁重に案内される個室は、<眠り>に就く人の好みで、イン

テリアの色調や壁紙動画?、ついでにBGMも好みで選べる仕組みです。

 

ベッドに横たわると、かつて美しかった野山が映し出され、草花が風に

そよいだり、鹿が遊んでいたり、、 そして流れるのはガーシュインの

Piano Concerto in F。  第一楽章の、(もちろん指揮者次第ですが、

 

たとえばA.プレビン盤なら初めから7分20秒ほどの)寄せては返す

波のような弦のユニゾンで心が揺さぶられるところ、、

 

と私は記憶していましたが、いやベートーベンだったという説もあって、

確かめ直したいわけです。 アメリカ映画で、NYが舞台で、、 なら

ガーシュインでなかったらオカシイ、、 んじゃないかな。

 

*   *

 

しかし高齢化日本、見回して思うのは我々にもその<ホーム>のような

施設が必要ではないか、ということ。 老夫婦ともに心身健康のうちは

良いが、片方が欠け、残った方にも不調が生じたら、もうソロソロ、、

と考えることだってあるに違いない。

 

それも考えられないくらいボケてしまえば本人は楽だろうが、周りには

大変な負担がかかります。  そんなことにはなりたくない、、

 

正気が残っているうちに、自分の意志で、人生の幕を引きたいものだ、、

と誰もが願うとは思わないが、それを可能とする仕組みが選択肢の一つ

として、あっても良いのではないか、、  くらいには思います。

 

語り合う最良の相手を失い、するだけのことはし終わり、面白がるほど

のことは何も無い上、ものごとの結末は大方見当がついてしまう、、で、

 

残る興味は大霊界。 こればかりは自らそこへ行くまで、本当のことは

分からない。 しかし私の場合、<実行>に踏み切れるか、どうか。

 

何か方法を思い付いても、勇気が無くて実行できそうにない。 できた

としても、発見者を驚かせ、後片づけはお願せねばならず、で心苦しい。

<教養が邪魔する>タチなのです。

 

<ホーム>方式なら、これら一切、何も問題にならない。 むしろその

ための施設や要員ですからな。 すでに<病院>が似たことをしている

とも言えるが、ペースが緩慢すぎるし、本人には<選択>の自由が無い。

<ホーム>の方が目的明確、率直迅速で宜しい。

 

*   *   *

 

その映画では、地球全体食糧難。 人民には緑色のビスケット風食料が

配給されるのだが、何を隠そう、その原料は<ホーム>での<献体>や、

街からの<ブルドーザー>の<収穫>。  いわば、究極のリサイクル。

 

映画公開当時には未だ異常プリオンも狂牛病も無くて、ただナルホドと

感心していましたが、今はその点からも<可能性>を検討しなくちゃ、、

 

幸か不幸か人間は肉食もする動物なので、牛よりは共食いに耐えるかも

知れません。  それは喜ぶべき<可能性>か、別な<不安>のもとか。

 

無駄が大嫌いな私は、抜け殻になった後なら自分が食料にされても気に

しませんが、その配給を受ける側に回るほど長生きしたくはない、、

 

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●ちょうどその頃、

 

かなり真剣に自殺を考える(だけですよ、もちろん)ことになりました。

第46号に、「不調をきたし、こりゃ自殺するかも、で故F先生に相談

した」と書いたのがそれです。   商売が苦境に陥ったのか、って?

 

いいえ、その反対。 すべて順調なのだが、体は一つ。 八面六臂の上、

一点集中タイプだもので、これに取り組んでいると、あれが疎かになる。

その不満から<オレはベストを尽くしてない、、>、自責の念に駆られ、

正気を残しつつも少しオカシクなりかけた、、  ようでした。

 

その時<考えた>のは忘れもしませんが、<技能登録式国家的危機対策

要員準備制度>とでも言うべきシステム。 <建設的自殺>のアイデア。

 

 

かなり能力のある人材が<生き続けたくない気分に陥ったが、無駄死に

はしたくない>という場合、その希望と共に特技や経歴を、その制度を

運営する機関に登録してもらうのです。  そして

 

原発などのハイテク設備に致命的な事故が発生し、それを解決するには

誰かが命を捨てなくてはならない、ということになったら出動して頂く。

 

炭疽菌をあの方法でバラ撒かれては郵便局の作業は命がけ、誰か覚悟の

出来た人に代わらせなくちゃ、、とか、いずれ毒ガス攻撃もあるだろう、

<人間センサー>が必要だ!  とか、、

 

ある程度の知能や技能を有する人材を人柱にして解決するほか無い、と

いう場面は今後増えるに違いありません。 その場面になってから探し

始めるのでは間に合うまい、第一見付かるまい。 しかし、ことは急を

要する、、  となれば、<準備>しておくほか無い。  が、

 

<登録制度>があれば、そのリストから選び、手早く必要最低限の訓練

を施して<その場面>へ送り込み、首尾良く一件落着。 同時に本人の

自殺願望も叶えられる。

 

国は手厚く葬り、遺族は十分な補償を受け、<自殺>者は英雄として後

の世へ伝えられる、、  つまり無駄死ににはならない、という仕組み。

 

そういうのがあれば真っ先に登録するんだがなあ、、 と空想したわけ

です。 今でも、原発事故要員なら登録したいなあ。 修得力も体力も

未だ十分あるつもりだし、、 この国には原発、やはり必要だろうし、、

 

*   *

 

チェルノブイリ原発事故では、後始末に身を挺した男達が多数、放射能

を浴びて亡くなったという。 果たして彼ら、死ぬと知って引き受けた

愛国者だったのか、そんなことと知らぬまま<殺された>のか? 

 

となると、<制度>があった方がフェアでしょう。 我が国でも、あの

東海村JCO事故はさすがに問題外として、丁度1ヶ月前の浜岡原発の

配管破断事故が示すように、<老朽化時代の始まり>は明らか。

 

検査の頻度を高めなくてはなるまいし、検査項目も<老朽設備用>のが

加わるだろう。 第一世代当時は材料も進んでいなかったから、補修や

部品交換の作業はますます増えて行くはずです。

 

ところがメンテナンス作業者の安全確保はかなり危うい、と聞きました。

だから業者任せ、そう高度な人材が当てられるわけではない、、 即ち

「メンテナンスしております」と言われても、安心など出来ません。

 

技術の高度化に反してモラルは劣悪化、信じられない無責任が横行して

いる現代です。 誰かが命を捨てなくては収拾がつかない深刻な事態が

必ず起きる、と覚悟しなくてはならない。  だから<制度>があれば、、

 

*   *   *

 

合理主義のハタラキ虫が考えた<自殺>システムは、まあ、そんなもの

でした。 もちろん工夫する余地は多大、夢中で空想に耽るうち、いつ

の間にか精神的失調から抜け出して、、

 

心の片隅の思い出話になってしまいました。 それが蘇ったのは、最近、

図らずも似た仕組みが実際にあったことを知ったからです。  それは

 

イスラム過激派ジハード戦士の自爆攻撃システム(?)。 本人は覚悟

して訓練を積み、ある日、命じられて敢行する。 彼には名誉が、遺族

には補償が授けられる。 しかしそれで解決する問題ではない、という

ところが最大の問題なのですが、ともかく、

 

強烈な WANT や究極の MUST を満たす案においては、<命を失うことに

なる>という<マイナス影響>も、その案を退ける理由にはなり得ない

ことが分かります。  平和ボケのアタマでは出来ない種類のDA。

 

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一般企業の私的活動の範囲では、<命がけ>なことは普通無いでしょう。

が、ハイテク時代、まかり間違えばトラブルの影響がパブリックに及ぶ

こともあり得ます。  まして、本質的にパブリックな性格の組織なら、

 

その業務に携わる人は命を投げ出す覚悟が必要、、 と思っている私は、

先頃船出した自衛艦隊乗組員の家族たちが「心配だ」を連発するのに首

を傾げました。 TV報道ですから歪曲か誇張があるかも知れませんが。 

 

自衛官募集のポスターにも< public service >という横文字が見られる

くらいだから、隊員は十分教育されて、その気でいると信じたいところ。

 

しかしその万一の場合、命を捧げた人に名誉と補償をちゃんと提供する

んだろうな、この国?  外務省や農林省にはパブリックのセンスすら

見られないし、ケーサツも政治家も頼りになりそうもないから、、

 

やはり<制度>を準備しておかないと、、

                          ■竹島元一■

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